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ラグビーWC、南ア優勝から想いを馳せる

久しぶりの投稿です。

 

ちょっと時間がたってしまったのですが、

先日、首都プレトリアで行われたスプリングボクスの優勝パレードを撮影してきました!

 

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日本でも「にわかファン」を急増させたラグビーWCですが、ラグビーが国民的スポーツである南アでは、国がひっくり返るほどの熱気と興奮でした!

 

しかし、それは単なるお祭り騒ぎではなくて、ラグビーWC勝利の歴史に南アの国としての歩みが重なって見えるから、国中の人が喜び感動しているのではないかと思います。

 

 

南アが初優勝したのは、自国開催となった1995年のこと。この前年に、アパルトヘイト(人種隔離)政策撤廃で知られるネルソン・マンデラが大統領に就任しました。マンデラは27年間も収監されていたにもかかわらず、自分を閉じ込めた白人に復讐するのでなく、民族融和政策を採り、「レインボーネーション(虹の国)」という構想を掲げました。

 

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それは、あらゆる人種と様々なバックグラウンドを持った人々が、互いを価値ある存在として認め合い、平和な国を築くこと。「違い」を「豊かさ」として捉える多文化共生社会の考え方です。当時としては画期的な考え方で、実現は不可能とさえ言われていました。

そんな中、初めて出場した南アは優勝の栄冠を手にするようになり、マンデラは、当時のピナール主将と同じ背番号6のジャージを着た姿でスタジアムに登場。14人の白人と1人の黒人からなるスプリングボクスは、人種融合のシンボルとなりました。

 

 

それから12年後の2007年にも、黒人選手2人を含む南アチームはWCを優勝で飾りました。しかしこの頃になると、マンデラ後の政権を握ったタボ・ムベキと続くジェイコブ・ズマが互いに汚名を着せ合い、国内が分裂し、人々も自分の利益を求めて贈収賄に走ったので、トップから警察に至るまで汚職が蔓延するようになっていました。

 

 

そしてそれからまた12年を経て迎えた今回のWC。主将は、スプリングボクス127年の歴史で初めての黒人キャプテン、シヤ・コリシ。奇しくもコリシが生まれた1991年6月16日は、アパルトヘイト政策が廃止される前日でした。背負った番号は「6」。マンデラが身につけたのと同じ番号を、南アの人々は特別な思いで見つめたことでしょう。

 

 

また今大会は非白人の選手は31人中12人にも上る正にレインボーチーム。この布陣で戦って、最後に破ったのは旧宗主国であるイングランドでした。南アはラグビーWCの優勝回数が世界最多の3回(ニュージーランドとタイ)となり、ラグビー世界ランキング1位に輝きました。 

 

 

だけど、国内に様々な困難を抱える南アにとっては、優勝したからといって全てがハッピーになったとは言えません。

これからこの熱狂が、何が自分たちをチャンピオンにさせたのかという答えにたどり着くとき、個人と社会に変化をもたらし、実を結んでいくのではないでしょうか。

 

そういう意味では、優勝もいいけど、それをスターターとする「いい機会」が得られることが、もっと素晴らしいことのように思えます。

 

 

そして世界中の人々が見守ったWCを通して、世界に発信されたメッセージもあるように思います。それは既に始まっている多文化共生社会において、私たちがどのように考えを転換し、未来へと進んでいくべきなのか。

 

 

日本のテレビで、コメンテーターたちは、「ノーサイドっていいよね」「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンの精神って日本人に合っているんだと思う!」とコメントをしていたようですが、

 

でも世界情勢を見渡せば、各国は臆面もなく自国ファーストを打ち出し、日本でも異国にルーツを持つ人々へのヘイトスピーチが街角で行われています。

 

しかし今大会は、日本代表も人種や国籍を超えた、いわばレインボーチームで臨み、史上初となるベスト8進出となったのです。これは、偏狭なナショナリズムに対する、強烈なアンチテーゼと言うことができるのではないでしょうか。

 

楕円形のラグビーボールは、どこに飛んで行くのか予測がつきません。素人考えでは「何であんな形に?」と思ってしまいますが、これが世界だと思えば、どこか納得するものがあります。予測不能の世界に住む私たちが、どうすればこのボールをハンドリングできるのか。

 

日本チームで活躍した選手たちの顔を思い出すとき、'多様性を包摂する社会'にこそ未来があるように思えてきます。